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2008.12.09

未来の人々のために我々が温暖化対策で苦労することは、正義なのかな?

 
人類の歴史の中で、「今」という時間的な断面を切り取ってみれば、残念なことに、豊かな人と貧しい人の格差が存在するのは事実です。

先進国と途上国の間、あるいはひとつの国の中でも、社会的・経済的な不平等というのものは確かに存在しているわけですな。

そんな格差が存在する世の中で、例えば経済的な利益をいかにして社会に分配すべきかという問題を考えるとき、その判断基準は人によって異なるのは当然ですが、より貧しい人々に対して多くを分配しようというのは、その逆よりは正しいこと、正義であると考える人が多いでしょう。
 
 
では、これを「今」だけではなく、「今」と「未来」の世代間の格差の問題にまで広げて、考えてみます。

未来を、過去から今までの歴史の延長と考えると、巨大隕石が落ちてくるとか全面核戦争でも起きない限り、各時代の全ての人の平均をとれば、全体として未来の人々は今の我々よりは豊かだと考えるのが自然です。それは、たとえ地球温暖化が進んだ未来でも同様でしょう(今とは、豊かな国や人が入れ替わっているかもしれませんが)。
 
 
さて、地球温暖化の問題。温室ガス削減の問題は、非常に荒っぽく言ってしまうと、100年後の世代が受けるかもしれない被害を防ぐために、今の世代がいくら投資するかという問題です。すなわち、今と未来のどちらにより多くを分配すべきなのかという問題です。

上で述べたとおり、より貧しい人々により多くを分配するのが正義だとするならば、今より豊かであることが予想される未来に投資するよりは、貧しい「今」の我々の生活に多くを投資する方が、おそらく正義でしょう。ならば、温室ガス削減のために、「今」の我々の生活を犠牲にして、莫大な資金を投資するというのは、決して正義ではないのです。
 
 
要するに何がいいたいかというと、基本的に今の世の中の格差を解消することに熱心である政治的な勢力(特に欧州の)は、同時に温暖化対策にも熱心な事が多いのですが、これは政治的な倫理的判断基準というという点から見て、とても大きな矛盾が有るんじゃないのかなぁ、ということです。彼ら自身の中では、悩んだりすること無いのかなぁ。

(一応断っておきますと、温暖化対策自体を批判しているわけではないですよ。整合性があるのかぁ? ということ)
 

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