人の良心や倫理に期待する社会はろくなもんじゃない
いろいろと、企業倫理とか専門家倫理が問われる不祥事がおこっているようですが。
企業にしろ個人にしろ、その専門とする分野において仕事をする祭には、さまざまなジレンマに直面するわけです。コストの問題、利益の問題、安全の問題などなど、多くのトレードオフの問題で選択を迫られるわけですな。その中で、重視すべき項目の選択を間違ってしまうと、結果として不祥事が起こってしまうわけです。
で、不祥事が起こる度に言われるのが、「倫理の欠如」とかなんとか。
でも、これは、コスト、利益、安全などなどの問題のさらに上位に「倫理」というものが存在する、という前提でのおはなしですよね。倫理がないから選択を間違えるのだと。……これは正しいのですかね?
「倫理」というとちょっと抽象的なので、「良心」でもいいです。人並みの良心があるのなら、少なくとも世間からみて間違えた行動をとる確率は減るはずだ、というのが上の理屈です。逆に言うと、ろくでもない不祥事を起こす会社は、良心が欠如している、というわけですな。良心さえあれば、すべてうまくいくはずだ!
しかし、この理屈では社会はうまく動かないと思うのですよ、僕は。
人の良心に期待するシステムというのは、かならずどこかで破綻します。別に、世の中は悪人しかしない、てな感じで、俗に言う性悪説を唱えるつもりは全然ありません。たとえ世の中が良心に溢れる善人ばかりだとしても、もしそうであるならそうであるほど、他人の良心に際限なく甘えてしまう社会システムができあがってしまう可能性があります。しかし、人間というものは、いくら良心があっても、その肉体や精神には耐えられる生物学的な限界がありますから、社会の期待に応えられるとはかぎりません。どこかで限界がきます。
特に、かわりがきかない特殊技能が必要とされる業界が、専門職の良心を前提とするシステムになっていると、限界を超えた人がある一定数以上になった時、業界全体が一気に崩壊してしまう可能性があります。(いま全国で起こっている医療崩壊が、まさにこれですね)
てなわけで、良心とか倫理というものは、特別扱いされるべきものではなくて、利益やコストや安全などの問題と等価な問題として扱われるべきものです。たとえば工学の世界なら、工学倫理はあくまで設計ノウハウやら運用ノウハウの一部です。良心もさまざまなトレードオフの対象のうちのひとつとして、自然に設計に組み込まれるような仕組みを作らねばなりません。(設計問題というやつです)
医療の世界なら、コトー先生のような良心的な末端のお医者さんが僻地で肉体的にギリギリの無理な仕事をしなくても、ちゃんと食っていけるような社会保障の体制を、全国的に整備すべきです。もちろん医者の絶対数を増やして養っていくには医療費や税金もかかるでしょうが、その方が結局医療ミスは減るし、多くの優秀で良心的な人が医者を目指してくれるんじゃないかな。
ついでに、介護業界は劣悪な労働環境だといわれますが、介護に従事する人の良心に頼った体制が、長持ちするわけがありません。正直にいいますと、「介護業界にたずさわる人は潔癖であるべきだ」てな感じの論調は、だいきらいです。バカすぎ。きいていて気持ち悪い(……おっと、ついエキサイトしてしまったぜ)。多くの人がお世話になる、これからの日本に必要な業界であるのなら、携わる人の良心に期待するのではなく、ちゃんとビジネスとして儲かる業界に育てるべきです。そのためなら、多額の税金を投入してもしかたがない。
どんどんはなしが脱線してしまいました。 結局なにが言いたいかといいますと、なにか不祥事がおこったときに、当事者の倫理を問題にしてもまったく解決にならない場合が多いんじゃないかな、と思うわけです。もちろん不祥事は犯罪ですから当事者は厳しく罰せられる必要があります。でも、不祥事を減らしたいのなら、過度に人の良心に依存する社会システムをそのものを修正する必要があるよ。で、そのために投入するコストやら手間を惜しむと、結局最終的に困るのは市民なんだよ、ということです。
……とはいっても、良心に溢れる世界を想像するのは、楽でいいんだけどね。
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