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2006.06.09

科学者のアウトリーチがサイエンスコミュニケーションの中心になってはいけない

「科学コミュニケーション」とか「サイエンスコミュニケーション」という単語を、世間でよく聞くようになりました。

これは、平成17年版科学技術白書の第一部によると、「科学技術と一般国民とを橋渡しする」ことだそうです。人材が唯一の資源といえる国において、科学技術の重要性は言うまでもありません。科学技術を一般国民に対してわかりやすく伝えることの重要性については、多くの人が認めるところでしょう。

また、同じ文脈で「アウトリーチ」という言葉もよくきかれます。

これは、科学技術白書によると「研究者等が自ら地域社会等の中に入り、市民と双方向のコミュニケーションを実現し、市民に学習機会を提供すること」だそうです。「科学コミュニケーション」にはいろいろな形態が考えられますが、その中の一分野として「研究者等が自ら」がコミュニケーションに出向いていくことを「アウトリーチ」活動というのでしょう。
 
 
さて、科学コミュニケーションには、いろいろな形態が考えられます。科学雑誌とかサイエンスカフェとかインターネットやTVを使ったものとか。しかし、どれも現状では「科学技術と一般国民とを橋渡し」の役割を十分果たしているとはいえないでしょう。どうすればいいのか試行錯誤の段階であると言ってもいいかも知れません。だからこそ、科学コミュニケーションの重要性が声高に叫ばれるわけですが。

そんな中、アウトリーチ活動の重要性が説かれる事が多くなりました。研究者達が自らが一般市民に対して科学技術の説明をしてまわるべきだ、という意見ですな。確かに、それができれば、もっとも効率がいいのは確かでしょう。科学の知識については、研究者に勝るものはいません。

しかし、私は研究者によるアウトリーチ活動というのは、科学コミュニケーションの主役であってはいけないと思うのです。
 
 
 
以下は、「科学コミュニケーションは日本には必要である」という前提の元でのお話です。必要性自体の議論については、別の機会ということで。
 
 
上で参照した科学技術白書をみてもわかるとおり、ここ数年国内では科学コミュニケーションの重要性が盛んに説かれ、いろんな分野の税金がつっこまれています。ゆとり教育の反動や、理科離れに対する危機感もあり、この状況はしばらくは続くでしょう。もともと科学コミュニケーション自体の重要性を否定できる人は少ないでしょうし。

しかし、何事に対しても飽きやすいのが日本人です。いつまでも科学コミュニケーションに対して税金がつっこまれ続けるとは限りません。例えば、文部科学省全体の予算が足りなくなってきたら、研究自体のお金を優先させるでしょうから、コミュニケーションにお金をかける余裕がなくなるかもしれません。

それでは、行政における科学コミュニケーションブームが終わる時に備え、今なにをすべきなのでしょう?

税金を投入しなくても科学コミュニケーションが成り立つ世の中にする必要があります。すなわち、科学コミュニケーションで儲けるビジネスモデルを成立させ、科学コミュニケーションで食っていけるプロが成り立つ世の中にすればいいわけですな。
 
 
どの分野でも同様ですが、別に本業をもつ人がボランティアでやることは、それがどんなに理想に溢れ信念に基づく素晴らしい行動だとしても、決して長続きはしません。信念を持つ人が引退してしまえば終わりであり、また多くの人が同じ信念を持つとは限らないですから。

科学コミュニケーションにおける、研究者自らのアウトリーチ活動というのは、まさにこのような活動にあたるのではないでしょうか。研究者の本業はあくまで研究であるわけで、アウトリーチ活動はあくまでも趣味、または一種のボランティアといえるでしょう。例えば、市民とのコミュニケーションにどんなに一生懸命とりくんでいても、それで時間がとられて研究が進まないようでは本末転倒です。また、勤務先がかわれば、地域社会との関係は一からやり直しです。

研究者によるアウトリーチ活動を否定する気は全くありません。特に若い研究者には、いろんな場に自らでていって、バリバリコミュニケーションして欲しいと思います。ただ、本当に重要なのは、研究者自らがコミュニケーションに力を入れることではなく、研究者と市民の間にたつコミュニケーターが、それで飯を食っていける状況をつくる事です。アウトリーチ活動が科学コミュニケーションの主役になってはいけないのです。
 
 
音楽のアーチストと、音楽を市民に届けるCD業界や各種メディア業界、イベント業界の関係を考えればいいかもしれません。直接音楽を奏でるのはアーチスト自身ですし、時にはアーチスト自らが街頭で演奏することもあるでしょう。しかし、俗にいう音楽業界が健全な産業として成り立っていないと、音楽文化自体が廃れていくのは間違いありません。画家や芸術家と、それを市民に届ける役割の美術館や出版業界、オークション業、評論家達のような関係でもいいですね。

音楽業界が特定のアーティストのプロモーションに力を注ぐように、コミュニケーションのプロは、売れそうな研究者や研究結果を対象として、大がかりな宣伝によりブームを作り出し、様々な方法でを通じて科学コミュニケーションを行うよう場を取り持つ。これがうまくいけば、コミュニケーターは食っていけるかも知れません。 これまでに行われてきた科学コミュニケーションの形態を「欠如モデル」とか「文脈モデル」とするなら、コミュニケーション業界が積極的にコミュニケーション対象を売り込むモデルは「プロモーションモデル」とでもいいましょうか。
 
 
……とはいっても、既存の雑誌とかTVとか各種メディア関連やイベント業をそのまま利用するのでは、今のところ「科学コミュニケーション」で大きく儲け、ひとつの産業としてなりたつのは難しそうです。ここで一発、新しいビジネスモデルでも思いつけば、第一人者になれるんだろうなぁ。

個人で目指すのなら、地方の科学フリーペーパーとかをつくってライターやるとか、もしくはサイエンスメイドカフェの経営くらいかな? 我ながらスケールが小さいですね。 えらそうなこと言う割には、具体的にどうすればいいのかはまったく思いつきません。。 こまったもんです。

たぶんつづく。

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コメント

パチ、パチ、パチ、パチ!!!!
この勢いで会社を辞めてGOでしょう!
やーー、読んでいてスッキリしました。

投稿: Salsa | 2006.06.09 01:34

科学コミュニケーションにいつまで税金が割かれるか,という点に言及されているので情報提供+コメントです。

アメリカ「では」,の出羽の守のようで恐縮ですが,米国の税金で賄われる科学研究費の一つ,NSFでは,Broader Impactがきちんと記されていない申請書は却下されるそうです。サイエンス以外に,教育やアウトリーチ,社会にどう役に立つか,そういうことが組み込まれていない研究計画はダメ,ということのようです。
http://www.research.umich.edu/news/2003/nsfimpact.html

#実際,どう評価され,科学者がどんなことしているのかはまだ不勉強です。すみません。

科学研究費の申請書に同様の項目を作り,その評価に科学技術コミュニケーターが入り込めないかなあと思いました。
科学政策なんかをやっている人は当然考えたりしていると思うのですが。

投稿: モリキン | 2006.06.09 03:08

Salsa さん、モリキンさん。コメントありがとうございます。
サイエンスを芸やアートとして売り込めば、コミュニケーション自体が産業になるような気もするんですよね。理科好きにとっては、そんな世の中になってくれたら楽しいだろうなと思うわけです。

投稿: sapporokoya | 2006.06.10 12:13

記事拝見しました。いまさらですがコメントを書かせていただきます。アウトリーチは科学者が本来すべきではない、と私は考えています。会社に例えれば、科学は「製品」であり、
・科学者=製品開発部門
・アウトリーチ=営業部門
だとおもうのです。開発者が製品の売り込みをすることもアリですが、営業はその専門家がやるほうがいい。アウトリーチもその専門家を育てるべきです。科学者がやっても結局は「いい製品である事はわかったけど、うちではいらない」といわれるのがオチだとおもいます。

投稿: MANTA | 2006.06.18 09:12

追記です。上記のビジネスモデル、興味深いですね。つまるところ、買う側(国民)へどんな商品(情報)を出せるか?ということでしょうか?いまは資格に伴う勉強にはお金を払う傾向がありますから、「科学技術検定」みたいなのを作って、そのための講座を科学コミュニケータと科学者が連携して行う、なんてのはどうですかね?なによりとりあえずは「米村でんじろう」ではないですが、科学の面白さを一般市民に伝える場所と講師の確保からでしょうか?
しかしその根底には「科学技術の知識を企業や一般社会がお金を出しても買いたいものなのか?」という点に集約されるでしょう。いまは科学者の知識はタダで得られる、という感覚もありますしね。

投稿: MANTA | 2006.06.18 10:27


コメントありがとうございます。

「科学技術検定」はアイディアはいいですね。まず資格ありきというのは批判の対象ともなるかもしれませんが、気象予報士のように「検定合格コミュニケーター」という肩書きの人がTVにでるようになれば、資格目当てに科学の勉強をする人も増えるでしょうし、周辺のビジネスも盛り上がるかも知れません。

それから、「科学者の知識はタダで得られる」というのは、それはそれでいいと思います。「知識はただでも、わかりやすく解説するのは有料」というのは、世間的にも納得してもらえるのではないでしょうか。

これからもご意見をいただけると光栄です。

投稿: sapporokoya | 2006.06.19 21:29

研究者のアウトリーチですら、おそらくアウトリーチと言えない物が行われているのが現状だと思います。今のままでは、研究者のアウトリーチが中心にすらなれないでしょう。
たぶん、研究者サイドに働きかけるとすれば、科学コミュニケーターに文句言われないためにもっときちんとやれと発破をかけるのも重要じゃないだろうかともおもいます。
研究者にもコミュニケーターマインドを!という感じですか。
そうすれば、コミュニケーターと研究者が科学コミュニケーションで協働しやすくなり、よりよいものになっていくとおもいます。
それと、「知識はタダ、わかりやすく解説したものは有料」という概念は賛成です。私はできれば人類の知識は人類全体でシェアしていくべき物だとおもいます。星の光や太陽の光が誰の物でもないように、誰でも望めば知識に到達できる、ということが保証されていなければ、人間の文化は衰退していくだけなのだと。

「科学者の知識そのもの」に、受益者負担の考えは導入したくないなあ、と私個人の思いです。学問の自由にも絡みますし。

投稿: YS-11k | 2006.06.21 17:32

コメントありがとうございます。
科学の成果は人類共有の財産にするべきというのは、私もそのとおりだと思います。しかし一方で、特許などの知的所有権というものがあり、やはりこれも人類の進歩のための強力な動機となり得るものです。ソフトウェアの分野でいうところの、オープンソースと商用ソフトの関係と似ているかも知れません。科学コミュニケーションとは直接関係ありませんが、このへんの問題も考え始めると難しそうですね。

投稿: sapporokoya | 2006.06.22 00:46

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